兵庫県北部に生まれ育った私。
実家の周りは山と田畑に囲まれていて
私の住んでいた村は
町営バスが当日は一日4本しか
通らない場所、そんなドがつく程の
田舎で生まれ育った。
19歳で神戸に出たけど
その10ヶ月後に阪神淡路大震災で被災。
田舎に戻り、温泉旅館の姉妹店の
レストランで1年間働き100万円を貯めて
大阪へ出てきた。
そして、自分の夢の為に無我夢中で4年間
働き500万円貯めて、アメリカへ留学した。
Brooklynで出会った黒人のおっちゃんが
導き教えてくれたジャズの世界。
9.11、日本へ一時帰国していたとき
起きた、ワールドトレードセンターでの
テロ…NYCに戻れなくなった。
その後もお金が貯まったら、数ヶ月単位で
NYCへ行ったりジャズ発祥の地
ニューオリンズへ行った。
現在は北新地にお店を構えて12年目。
コロナ禍で大変だけど、スタッフ
ミュージシャン達と何とか
乗り越えようとしている。
当時の私を動かしてきたのは
地元にいた頃
小中高の時で私を虐めてきた奴ら
見て見ぬ振りだった奴ら
馬鹿にしてきた奴ら
そんな奴等を見返したる!
それが原動力だった。
結果、見返す事は出来たと思う。
今、夢中で頑張れているのは
10代の頃、私が傷つき、辛い時も
そばで何も言わずに黙って私を見守り
応援してくれた両親への感謝
今も私を信じてついてきてくれている
スタッフやミュージシャン達。
そして何よりも応援してくれている
お客様方がいるから頑張れる。
そんなド田舎もんの私。
日本では東の銀座、西の北新地
そんな繁華街でお店を構えて12年目。
経営者であるけれど
私の中での経営者は2010年に
亡くなった旦那さんをオーナーとしてる。
 35才、くも膜下出血で逝ってしまった。
彼の人生は壮絶だった。
ダブル不倫の間に産まれた彼。
母親が蒸発し、警察から連絡
薬中で見つかり家に戻った。
そして、父親が蒸発…
母親が家に男を連れ込み、男が代わるたびに
その男達をお父さんと
呼ばなければならなかった。
数年後、母親がくも膜下出血で亡くなる。
母方の祖母と暮らすも、祖母も亡くなり
大阪に住む、父親の姉の家に預けられた
当然、居心地もわるく、扱いの違いに
苦しんだ彼は、バイトでお金を貯め
16才で一人暮らしを始めた。
そんな環境だったのに
グレる事なく、真面目に自身と向き合い
暮らしていた。
だけど、頼る人もいない彼は
借金まみれ、たしか結婚前は700万円くらい
借金があった…結婚後も2人で
一生懸命働き、3年半で借金を返済。
仕事が終わって帰ってくると
すぐに社会人のブラスバンド部の練習へ。
すれ違いの生活だったけど
いつも私を応援してくれた。
いつか経営者になりたいって言うてた。
借金返済し終わってすぐに
当日一緒に働いていた人と会社をしたいと
経営者になりたいと言い出した…
私は仕事柄、たくさんの人達と出会う。
なので、彼が経営者向きでない事は
知っていた。いい上司に恵まれ
力を発揮できる人だと。
やっと借金返済したのに…
絶対無理やからやめときって言うてんけど
「男には勝負をかけたい時がある!」
と言われて。彼の生い立ちもあり
勝負をさせてあげたかった。
だけど、借金地獄になる、私にも
借金が降りかってくる。
それは、避けたかった…
私を選ぶか、独立を選ぶかどっち?
独立を選んだ…ただ嫌いだから
別れたのでは消してなかった。
とりあえず、離婚。
離婚してすぐに会社を立ち上げた。
数ヶ月後、共同経営者が行方不明に。
結果、半年ももたずに7000万円の
借金を背負い、自己破産。
「なぁ、あかんかったやろ…」
そして、再就職。
いい上司に恵まれ、東京、大阪、福岡と
飛び回り、3年後の12月24日
「来年の春、出世して大阪に戻ります。
もう一度、やり直して下さい」と。
もちろん、返事はOK。
戻るならこの人だって決めてたから。
そして、年が変わって忘れもしない
2010年1月29日
彼の叔母さんから電話がかかってきた。
「千恵ちゃん、元気にしてるん?
あっ、大ちゃん死んだから。
俺の事は千恵が全部知ってるからと
大ちゃん言うてたし、
後のことは頼むわなぁ」と。
おいおい、復縁するんじゃなかったの?
お葬式代やその他諸々の片付けをした。
ただ、苦労したとは思っていない。
バラバラだった家族、
ご両親の遺骨とともに、
同じお墓に納めてあげられた。
もしかしたら、この為に彼と
出会ったのかも知れないと思えた。
彼が亡くなって1年がすぎた頃
当日働いていたジャズバーをクビになった。
リーマンショックで大変な時だった。
こんなに貢献してきたのにクビって…
自分が経営者になったから
当時働いていたお店のオーナーの
気持ちが今はとても分かる。
店を継続させていかなきゃ
いけなかったから。
クビになって3ヶ月後
北新地にお店をオープン。
内装は田舎の父と弟達がやってくれた。
当日豊中狭い部屋で父と弟達と
10日間くらいかな?
布団敷いて、一緒に過ごしたのは
いい思い出です。
アメリカへ戻ってもよかったんだけど、
彼の夢であった経営者になろうと決めた、
音楽も大好きだったしね。
オープン5日前の3月11日…
東日本大震災が起きた。
オープンするのかしないのか?
お客様方へのオープンの案内は
すでに出していた。当然ながら世の中全体が
自粛モードになった…オープンせずに
終わったと思った。
2011年3月16日、オープン初日。
たくさんのお客様がご来店くださった。
「直、大変な時にオープンしたけど
頑張るんやで!」と。
オープンして1年目の売り上げが
 過去最高なんだよね…未だに。
本当にありがたい。
東日本大震災、台風、コロナ禍
いろんなことが起き続けている。
今現在もお店を続けられている。
これは、ホントに奇跡です。
この先、何が待ち受けているか
わからないけど、どっしり構えて
調子に乗らず、偉そうにする事もなく
謙虚に真面目にやっていきますウインク
日本で2番目の大都市、大阪。
堂山でパーソナルトレーニングを受け
帰りは大阪駅前を通り。

こんな大都市でせいかつしている私。

凄ーいと、運転しながら思った。

もう田舎で暮らす事はない。

私は、今生きるこの場所で

スタッフ、ミュージシャンと共に

ナオズプレイスを守っていく。

そして、全ての人との出会いを大切に

今までのお客様、これから出会う

であろうお客様方、ご縁を大切にして。

私の財産と言えるものは

ほぼないけど、

人と人とが繋げてくれたご縁や出会い。

何があっても、そばにいてくれる

スタッフやミュージシャン達を守り

楽しかった!来てよかった!また来るね!

と言ってもらえるそんなお店を

作っていきたいと強く願う

今日この頃でした。

さてと、練習しなきゃね。