いよいよ、本日から2日間
nao’s place15周年記念のイベントです。
少し前からぼちぼち用意を始めていました。
お土産だったり、シャンパン系だったり、赤ワイン、アルコール系やそれ以外。
毎年、思うことだけど…nao’s placeを始めると決めて動き出した2011年。故郷の大工の棟梁である父に相談して内装をやってもらうことに。内装工事を入る前に一度大阪に来てもらい、寸法測ってくれて。「こんなんで良いかな?」と父がサッと書いてくれたスケッチ。今も大切に持っている。オープン日を2011年3月16日と決め、父が田舎で段取りし、大工の弟二人と大阪へ。当日豊中に住んでいて、一人暮らしのワンルームで4人で寝泊まり。
父と弟達が北新地で内装している間、彼等の食事や洗濯、開店の段取りをして動きまくってたな。そして、今日で内装も終わり、廃材をビルの下に停めてる軽トラックに運んでた時。なんだか眩暈がして、「なんかちょっとしんどいわと…」と呟くと弟が「姉ちゃん、俺もなんか目眩する…」と。ビルの北新地ってデカい看板を見ると、看板が揺れていた。と、同時に「宮城や!仙台や!」と誰かが叫んだ。えっと思い、中にはいると当時ワンセグ携帯を持ってた方がテレビを見せてくれた。大地震が起きた映像…
でも、休んでる間がなく、廃材を出し、作業終了。
父と弟達と豊中に戻り、彼等が田舎から持ってきた布団を圧縮して積み込み作業完了。
いよいよ、オープンまで後5日。田舎へ帰って行く父が私に「しっかり頑張れ!」と。父と弟達を見送り部屋に戻ってテレビをつけた。目に入ってきた映像…こんなに酷い状況。オープンなんて出来るの?オープンしたとて、すぐに潰れてしまうかもしれない。しかしながら、新規オープンのご案内をお客様方にお送りしていた。日本全国自粛モード、当たり前です。悩んだ結果、潰れても仕方ないと覚悟を決めて、オープンしたのが今から15年前。
オープン当日、とんでもない数のお客様方がご来店してくださり、「ナオちゃん、偉い時のオープンになったなぁ、大変やけど頑張るんやで!」と。
お店いっぱいの胡蝶蘭、お客様方の顔が今でも鮮明に残っています。
9周年を迎える前、ダイアモンドプリンセス号、そうコロナが日本へ。あの時も、本当に不安だった。お店の通帳が50万円を切った時、終わったと思った。いつまで続くか分からないコロナ禍。もう、ダメだと思ったことも。だけど、父、弟達が作ってくれたお店の内装、誰にも渡したくない!どうにか残せたら…すると持続化給付金が出たお陰で、お店の家賃、音楽活動できないスタッフ達に支払ってあげる事ができた。
開店するまでずっと、ライブ活動をしてきたけど、お店の方が大切。オープンから10年間、ライブ活動は中止、10周年をむかえられたら又ライブ活動を再開させようと決め、お店のために頑張ってきた。
たくさんのお客様方に支えられ、スタッフ達にも恵まれ、そして15周年を迎えられる。
田舎に帰った時に、母にお店が大変だと伝えると「あなたの足枷は、あの内装やなぁ〜」と言われたけど、それはそれで間違いない。こんな内装は北新地で、どこにもない。大工の家に産まれた事自体、私はラッキーだと思う。
癖の強い私かも知れないけど、癖の強いお客様方も多い。スタッフ達も個性的、いい意味で。
nao’s placeをやる前に働いてた、生演奏のお店。
当時、そこの女性スタッフ達から「体張って集客してる」だの「裏には893屋さんがついてる」だの陰口を言われていたのも知った。知らないふりで働いていたけど、それがストレスとなり、首から下がタダレ、目の下にヘルペスができ、皮膚科の先生に「ストレス抱えてませんか?目の下のヘルペスの菌が目に入ったら失明しますよ」と。
これは、だいぶやられてると思った。虐めを耐え抜いた経験があったけど、ここまでとは思ってなかった。失明なんて嫌だ!と。その当時のスタッフの1人が私に近づいて来た時に言ってやった。「あんな、自分ら、ないことばっかり、お客さんやスタッフ同士で話してるの知ってるで、ホンマに迷惑や!」と言ってやった。
その後、数日で首からデコルテまでの真っ赤になってタダレた部位、目の下のヘルペスが徐々に治っていった。
小中高と虐めに合い、こんな町、出ていってやる!と決め、紆余曲折ありながら、今では故郷、新温泉町の観光大使。絶対に見返してやる!って心の中にあった。そして、元同僚達、アイツらを絶対に見返してやる!と思ってきた。でも、絶対に負けるか!絶対に見返す!と思った事も私の原動力になったのは間違いない。そう思わせてくれた人達、いまではありがたいとも思える。じゃなかったら、私は負けていたかも知れないと。自分がお店を始めて、例えばスタッフ同士がなんか気まずい感じ、相談された時は、私が見てるからどうぞ!って目の前で話をさせる。それは誤解であったりする場合、腹を割って話せばきっとわかりかえると思うから。陰口を言われてきたから分かる、そんな店には誰もこない。だって空気が悪いもん。
父が教えてくれた「出る杭は打たれるけど、出過ぎる杭は打たれない」「やってできない事はない」母が教えてくれて「あんた一人でやってきたのではない、周りのたくさんの人達のお陰、感謝の気持ちを忘れるな!」「小さなことでも、ありがとうございます!と言える人になりなさい」と。
アメリカ留学行く前に働いていたミナミのお店のオーナーママ。「直、お陰様です!と言える人になりなさい、感謝の気持ちを忘れたらあかんよ」と。
本名は「千恵」なのに、何故「直」と名乗っているのか?お察しのように、22歳の時、このお店のオーナーママから頂いた源氏名です。素直な子やなぁ〜とつけてくれた「直」。アメリカ留学を応援してくれたママ、今でもちゃんと交流があります。出会って29年、現在81歳。私がお店を経営できているのは、この方の教えがあったからです。周年終わったら又会いに行く予定です。
先ほども、明日のご予約のご連絡頂きました。その方とも出会って20年になります。某大企業の社長様だった方。ユーモアがあって素敵な方です。現在72歳、今も自分の会社を立ち上げご活躍中です。
2年ぶりかな?お会いできる事がとても、嬉しいです。
いよいよ、始まる15周年記念イベント
無事に終われますように…
今日も感謝の気持ちを忘れず、心を込めて歌います。

Pf: 元岡衛
Bs:佐々木研太
Per:チーチョ西野

昨日、早速お花を頂きました。
タッチィ、ありがとう!





